東北線沿線では久喜駅周辺で駅前のダイエーが撤退。
高崎線では 上越新幹線、上越線、信越本線、上信電鉄等が集まる一大ターミナル駅であるにも関わらず高崎駅の駅周辺では、シャッター通りが出現。
ローカルなところでは、東武東上線霞ヶ関駅近くの”霞ヶ関北通り商店街”がシャッター通りに。
しかし、この図式が全ての地方都市で当てはまっているか?と言うと。答えはNo!である。
市当局が、有識者?を交えて飲み屋で”一升懸命?お酒を飲みながら”話をまとめ、十分な地元の了解もないままに机上で好き勝手に線割りしたような”おそまつな都市計画餡?”それ自体が、ナンセンスではなかったのか?
前にも述べたとおり、”都市=コロニー・コミュニティ”は生き物であり、事情が変われば、変化していって当然である。
ここで反対に、空洞化どころか躍進した実例はというと。
筆者の知っている狭い範囲だけでも、埼玉県下の東武伊勢崎線の草加駅周辺、新越谷駅周辺、,,,,等々。
そして我が街、河内国分駅周辺。
一体何が、栄枯盛衰を分けたのか?以下に分析してみると。
まず成功例をあげると、
@アンダーパスや自由通路等により何らかの立体化がなされ、駅周辺で車・人の流れを遮ることなく、線路で町が分断されていない。
A近くに古くからの街道があり、駅の建設以前からすでに”町並み”があった。
又は現状居住地に囲まれている。
※一般的に、私鉄は市街地を選んで通っていたり沿線開発に積極的であり、駅周辺がこの条件を満たしている場合が多い。
これに反して旧国鉄時代、特に鉄道壮明機に出来た駅は市街地をさけて作られている場合が多く、又最近出来た駅でも市街地から遠く離れた所に突如出現した様な場合が多い。
為に周辺住民が元々少なく空洞化しやすい。
久喜駅はこの例であろう。
B快速、急行などの速達列車が停車し”駅前”がバス等のローカルアクセスとの、乗り換え”ターミナル”に成っている。
C地元が、個人の”エゴ”をむき出しにせず、駅前市街地改造に積極的に協力した。
以上のようになる。
そこで、”旧柏原町エリア?”に目を向け柏原駅周辺、堅下駅周辺はどうかというと。
@は府道の延伸計画、駅の橋上駅化事業等で何とかクリア出来そう、Aの条件も満たしており問題なし。
柏原駅は 旧奈良街道 に隣接しており元々市街地に隣接して開設され手いる。
これは関西線が元は”私鉄”の”関西鉄道”にその起源があったからであり、ラッキーであるとしか言いようがない。
この点に関しては多少条件は悪いが堅下もしかり。
Bこれも、地道な働きかけで何とかなりそう。(現状でも相当数の利用客がいるはず?)
しかし最大の難関はCこれが〜,,,,,,!?
納得のいかない方は、一度河内国分駅周辺を訪れてお金を落としていって欲しい!?
<この稿終わり>



