2009年01月14日

利冷え〜るホールの活用法 その2

前回も述べたが、600席で手頃な規模の、まだまだ使える!”立派なホール”があったにもかかわらず、悪徳建設業者と結託し、無惨にも旧ホールをブチ壊し!取り壊し費用も含め”莫大な費用”をかけて”使えないホール!?”を建設したのは、”YAMASHII前市長とその一派”であった。

しかし出来たものは仕方ないから、利用促進を図り{銭、銭、銭,,,,の”河内砂漠”?に”文化の炎を灯す”そして”癒し”と”潤い”に満ちた”暖かい人心”を市民に根付かす!}これこそが市民の血税に対するせめてもの報いでは無かろうか?

(年間365日)−(休館日52回プラスx)=(利用可能日300日プラス)

この条件の下で平成7年度の大・小ホールの利用回数が50回程度?
一体全体ドーユーことか?

小生が問題にしているのは、”赤字”ではない、当初の目的<市民の文化意識の啓発・啓蒙>を推進するどころかその”途”にもついていない状況を問題にしているのである

≪「捕らぬ狸の皮算用」で、いつまでも高額な利用料設定に固執するより、公共ホールの相場に即した利用料に料金改定をし利用者が利用しやすい環境を整えるべきである。≫

600席程度で土・日・祝日利用 終日¥30000 1500席で¥90000 この程度が利用料の相場だろー。

はっきり言って、利冷え〜るホールは高すぎる。
 大ホール¥143,000/1200人小ホール¥39,000/300人http://www.city.kashiwara.osaka.jp/bunkakaikan/index.htm

難波から”45分!”もかかる”ド田舎?”の”不利び得るホール?”がこの料金、誰も利用しなくて当然!

公共ホールの料金は採算性だけで設定してはナラナイ!

≪利用がはかれるならタダでも良い!≫今の利用料金で年間300日利用があったとしても、ドーセ赤字が出る?!

なら、当初の”崇高な目的”をかなえるために、大幅な利用料金の引き下げ、いや場合によっては、”教育委員会あたりが認定したNPOや同好会等の市民団体”が開催する”無料の催事”は、後述の、自主手配・自己負担の費用以外ははタダ!にする。

これぐらいの思い切った利用促進策が無いと、『いつまで経っても、”閑古鳥”以外の入館者は”0”の状態が続くであろう。』

≪赤字を最小限に押さえたいのなら、一部業務の民間委託化を≫
”民間委託”とは大阪市の様に訳のわからない天下り第3セクターを作り「運営その物を丸投げしろ」、と言っているのでは無い。

”維持管理業務”の一部を、入札で委託してはどうか?と言っているのである。

人も来ないのに専任の職員を置いて、莫大な光熱費をかけてまで毎日開館している必要はあるのか!と言っているのである。

小生は、当分の間、「ホール利用のない日は全館休館!」これぐらいの処置はとっても良いとさえ考えている。

ホール以外の施設利用者は他の施設で十分代替可能である。http://www.city.kashiwara.osaka.jp/bunkakaikan/event/ibento.htm

≪どっちみち赤字≫なら、同ホールの年間維持管理費(予算)で、民間のビル管理会社に維持管理業務を入札させで民間に委託してしまう。

但し条件として、「エントランスホールを除く全室の利用申し込みのない日は業者判断で全館休館出来ることとする。」

こうすれば、民間なら、人材派遣会社利用やパート利用で人件費削減も出来る、だから商売としての”旨み”も多少は出る。

照明、音響、舞台設備、その他の興業・催事の舞台運営に関するスタッフも原則利用者手配とする。>

そしてこれらの専門業者を市で紹介・斡旋する。(※素人が設備や機会を操作すると安全、衛生、防火、操作,,,,全ての面で支障が出るであろうから。)

小生の言う民間委託とは以上のような事である。

但し、この悪徳業者共?は市で丸抱えするのではなく、あくまでも主催者への”紹介・斡旋”の形態を取る。

民間・公営を途はず、一般の賃貸イベントホール・展示場は殆どこの形態である。

そして利用料金については、(土日祝日は除き)前述料金改定とは別に
≪入場料無料の一般市民団体公演≫に限り≪清掃費、光熱費(照明、空調等の電気代、燃料費等)を”従量制”で精算≫しホールの維持管理費は負担させない。

又これら、利用受付と料金精算に関する部分は、不正防止、利用者保護の立場から今まで通り市が直接関与すべきである。

≪市民会館は単なる、”市営施設”ではない≫市民の文化意識の象徴であり、その啓発・啓蒙の一大センターでなければならない。

故にお荷物扱いではなく、目先の採算性にばかり目を向けず、例えば”教育委員会”等のの下で”文化行政”の一部として”一貫した積極運営”を行うべきである。
運営企画担当者の頭から”興業収入”が消えたとき、真の”文化事業”といえる企画が芽生えるであろう。

但し興行主気取りでやりたい放題だったYAMASHI前市長が退陣した現在、市民が歓迎もせず、興業の度に”大赤字をコク”様な訳のわからない”自主公演”は即刻廃止すべきであり、企画部門の”余剰人員”は他部署に配置転換すべきである。
posted by 蔵間転具 at 07:47| Comment(0) | 柏原市政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柏原市の”利冷え〜るホール”は冷えている?

柏原市立リビエホールの有効利用&利用促進策

最初に本提案は同ホールの赤字解消を狙ったものではない。

アトサキ(建設後の維持管理)を考えずに、まだまだ使える旧市民会館を”ブチコワシ!””身の丈以上”の市民会館を造ってしまったのは、山西柏原市前市長と、建設に賛成し予算を承認した当時の市議の責任
である!

しかし作ってしまった箱物はしかたない。

そこで何とか、体裁に見合った”利用促進””有効活用”を図ろうと言うのが本稿の趣旨である。

年間利用率45%以下たったの170日余り!
ザ・シンフォニーホールのような民間の貸しホールではないのだから空き日があり、年間を通じて赤字が出るのは致し方ないことだと思う。しかし昼夜間を通じて丸一日ホール利用者がない日が、年間200日近くもあるというのはいかがなものか?

年間52週で土日週末だけで104日以上、祝祭日の14日を含め土曜の重複を省いても年間最低110日は 、何らかのイベントがあって当然。

年間200日近くホールが全く利用されていないなど異常事態である。
民間ならとっくに倒産・廃館・取り壊しの憂き目に遭っているところである。実際、”痴呆自治体?”全国各地で開館した立派なホールの数々は殆ど閉鎖の危機に瀕しており、近隣の、和泉市などでは民間移譲問題で市民の意見が割れているのは衆知のところでもある。

市民の文化意識の向上を目的に建設したのであれば、真の意味での有効利用を図るべきである。

そこで何とか有効利用しようと言うわけで考えたのが以下である。

骨子は以下のとおり。

@運営・管理を民間に委託する。

A1週間前にホール及びその他の施設の利用申し込みが無い場合は全館休館とする。

B利用条件に入場予定者数の一項を追加する。

C入場予定人員が定員の半数以下の場合、以下の条件に当てはまらない場合は申請書を受理しない。
イ.福祉団体が主催する行事
ロ.音楽・演劇等のアマチュア公演の場合有料無料にかかわらず、柏原市内の小・中学校、福祉施設から定員の半数(大ホール600人以上、小ホール150人以上)を招待すること。この無料招待枠についてはPTA等の保護者会を通じて行うこと。

D演劇・音楽(俗謡・クラシックに限らず)等の公演の場合は、利用申込書に著作権協会への著作料払い込み証明書の添付を義務づける。

E土日・祝祭日の利用は市内在住の各種団体・アマチュアの利用を優先とし、前項までの条件に合致する団体間による抽選とする。

F全てのホール利用者(申し込み代表者)は当日、退館時に入場者総数(主催者を除く観客数)の報告を義務づける。

GF項での定員の半数に(大ホール600人未満、小ホール150人未満)満たなかった場合は次回申し込み時、抽選権を与えず、利用申し込み締め切り時点で競合がない場合のみ利用可とする。

小生はかつて、アマチュアオーケストラに属していたことがあったが、抽選で勝ち抜き、貴重な祝祭日のホール利用権を獲得したにもかかわらず、毎回客席の観客よりステージ上の出演者の方が多い?なんて状況で、出演者の一大マスターベーション大会ものであった。

内心はママさんコーラスや、ピアノの発表会に勝ちを譲った方が市民の財産を有効利用できたのではないかと常に自問自答していた。

<この稿惜しまい?>
posted by 蔵間転具 at 07:34| Comment(0) | 柏原市政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「道州制」を考える最終回

今回提言された”お偉いさん方”の3案は地域分け一つ採ってみても、現状も、将来も見据えていないように感じる。

この際、県境を見直してでも、より実際の”生活感”に即した、州割を検討すべきだと思う。

中国地方を一括りにすると、間違いなく山陰側の過疎化は進むであろうし、山梨県東京州?の県境も見直した方がよいだろう。

”お偉いさん方”は机上で数字だけを頼りに線を引きたがるが、そこに住んでいる人々の”生活感”は全く無視されているように感ずる。

どうしても、”首都東京”を別格視したければ、23区だけをひと括りにして、後は関東州に編入してしまえば良いではないか?

又、”金の流れ”に手を付けるのを”タブー視”していれば、これらの”構想”は単なる”妄想”で終わってしまう。

”交付金”を基本にする現状の税制を抜本的に見直し、”分担金”言い換えれば”上納金”に頼る政府に生まれ変わらねばならないと思う。

金の流れ(税制)に手を付けずにこの議論は成立しない!と考えるのは筆者だけではないはずである。

<この稿お終い>
posted by 蔵間転具 at 07:19| Comment(0) | 時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「道州制」を考えるその4

小生は仕事柄か昔から全国各地を訪れる機会が多く、地方に行くとその”悲痛な叫び”が直接体に伝わってくるように感じる。

”税収”も含めた自由裁量権があれば、地方にだって、いや地方にこそアイデアはいくつでもある。

前出の様に情報ハイウエーがaccessの主役の時代、大会社だって東京に決して固執はしていないと思う。

地方の”旦那衆”も、”新幹線”に固執してばかりいず、”航空機”の利用を促進すべきだと思う。

見栄がきっかけで作った地方空港でも、旨く利用すれば、負の遺産から子孫に感謝される存在になるはず。

個人的な体験で恐縮だが、空路利用について一つ例を挙げれば、東京にいたときの方が大阪に帰って来た今よりも富山金沢を身近に感じていた。

何故か?

それは、スーパー雷鳥よりジェットの方がズット早いからである!

<この稿続く>
posted by 蔵間転具 at 07:14| Comment(0) | 時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「道州制」を考えるその3

前置きが長くなったが、この視点にたつと”お偉いさん方”の今回の論議はピントがはずれているとしか思いようがない。

いかにして明治以来の官僚による”中央集権体制”を守ろうか?と躍起になっているように感じてしまう。

所詮、有識者の”お偉いさん方”も”体制側”であり、”現状維持安定路線”に執着するのも無理はないのか?

東西統合以来最近はドイツでもベルリンへの一極集中、各州間の温度差、特に旧東ドイツ圏の経済の低迷に頭を抱えているように聞いている。

しかし、日本ほど酷くは成っていないと感じている。

日本の場合、総人口の5割近くが関八州?に集中しており、その重みに耐えかねてプレートが移動して関東大震災を引き起こすのではないかと危ぶまれている状況にある位だ?(もちろんジョーク

<この稿続く>
posted by 蔵間転具 at 07:08| Comment(0) | 時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「道州制」を考えるその2。

小生は、国家の要はAccessにあると思っている。

古来よりシルクロードローマの街道、大航海時代の2大国、19世紀後半〜20世紀初頭にかけての米国の鉄道網、現代における米国航空網とインターシティーハイウエー網等。

20世紀前半においてはAccess の主役は”物の流れ”と”人の流れ”であった。”情報の流れ”は”人の流れ”の陰に隠れていた。

21世紀にかかる頃から、”情報の流れ”がAccess の本質にまで成長してきた。

”情報ハイウェー”が主役に躍り出てきたのである!

インターネットのおかげで、居ながらにして国中、世界中の情報が集められる世の中になった。

現代は「物の流れが情報・文化を運ぶのではなく、情報や文化が物、人の流れを促す時代」となったのではないか。
posted by 蔵間転具 at 07:03| Comment(0) | 時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「道州制」を考えるその1。

昨今にわかに道州制の議論が取り上げられる機会が多くなった。

先見性を自慢するわけではないが、小生は十年以上前から、新聞などにこの”アイデア?”を投稿していた。

小生は常日頃、諸外国、特に戦後日本と同じ敗戦国として共に復興の道を歩んできた旧西ドイツに憧れ、ああ言う国にならないものか?と羨やんでいた。

東西統合前の旧西ドイツ時代 首都は”ボン”であり、商都ベルリンとははっきりと性格分けされていた。

もちろん現在に於いても各州は独自性を発揮しつつも、協調して連邦政府を支えている。

特に東西統合前のドイツは有名なアウトバーンと、良く整備された航空網と鉄道網の抜群の連携で、当時は陸の孤島であったベルリンに、一極集中する必要性を無くしていた様に記憶している。

<この稿続く>
posted by 蔵間転具 at 06:58| Comment(0) | 時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市街地空洞化は役人の一人芝居? その2

図式通りに寂れた実例?をあげると。

東北線沿線では久喜駅周辺で駅前のダイエーが撤退。

高崎線では 上越新幹線上越線信越本線、上信電鉄等が集まる一大ターミナル駅であるにも関わらず高崎駅の駅周辺では、シャッター通りが出現。

ローカルなところでは、東武東上線霞ヶ関駅近くの”霞ヶ関北通り商店街”がシャッター通りに。

しかし、この図式が全ての地方都市で当てはまっているか?と言うと。答えはNo!である。

市当局が、有識者?を交えて飲み屋で”一升懸命?お酒を飲みながら”話をまとめ、十分な地元の了解もないままに机上で好き勝手に線割りしたような”おそまつな都市計画餡?”それ自体が、ナンセンスではなかったのか?

前にも述べたとおり、”都市=コロニー・コミュニティ”は生き物であり、事情が変われば、変化していって当然である。

ここで反対に、空洞化どころか躍進した実例はというと。

筆者の知っている狭い範囲だけでも、埼玉県下の東武伊勢崎線の草加駅周辺、新越谷駅周辺、,,,,等々。

そして我が街、河内国分駅周辺。

一体何が、栄枯盛衰を分けたのか?以下に分析してみると。

まず成功例をあげると、

@アンダーパスや自由通路等により何らかの立体化がなされ、駅周辺で車・人の流れを遮ることなく、線路で町が分断されていない。

A近くに古くからの街道があり、駅の建設以前からすでに”町並み”があった。
又は現状居住地に囲まれている。

※一般的に、私鉄は市街地を選んで通っていたり沿線開発に積極的であり、駅周辺がこの条件を満たしている場合が多い。

これに反して旧国鉄時代、特に鉄道壮明機に出来た駅は市街地をさけて作られている場合が多く、又最近出来た駅でも市街地から遠く離れた所に突如出現した様な場合が多い。
為に周辺住民が元々少なく空洞化しやすい。
久喜駅はこの例であろう。

B快速、急行などの速達列車が停車し”駅前”がバス等のローカルアクセスとの、乗り換え”ターミナル”に成っている。

C地元が、個人の”エゴ”をむき出しにせず、駅前市街地改造に積極的に協力した。

以上のようになる。

そこで、”旧柏原町エリア?”に目を向け柏原駅周辺、堅下駅周辺はどうかというと。

@は府道の延伸計画、駅の橋上駅化事業等で何とかクリア出来そう、Aの条件も満たしており問題なし。
柏原駅は 旧奈良街道 に隣接しており元々市街地に隣接して開設され手いる。
これは関西線が元は”私鉄”の”関西鉄道”にその起源があったからであり、ラッキーであるとしか言いようがない。     
この点に関しては多少条件は悪いが堅下もしかり。
Bこれも、地道な働きかけで何とかなりそう。(現状でも相当数の利用客がいるはず?)

しかし最大の難関はCこれが〜,,,,,,!?

納得のいかない方は、一度河内国分駅周辺を訪れてお金を落としていって欲しい!?

<この稿終わり>
posted by 蔵間転具 at 06:51| Comment(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市街地空洞化は役人の一人芝居?

今日、久しぶりに河内国分駅前に出かけて見た。
ウィークデーの昼間に国分に出かけるのは一昨年に帰郷したとき以来である。
合同会館から駅ビルにかけての165号沿いはかなりの人と自転車で歩き辛いぐらい。
昼間の3時前だというのにライフの入っている駅前ビルは、かなりの買い物客で賑わっていた。
この時間いわゆる”爺婆”が大半ではあるが、歩いて買い物に行けるところに商店街がある事もあり、

河内国分駅周辺市街地では”空洞化”どころか30年前に比べて、”見違えるような発展”を遂げたように思う。

河内国分駅前躍進の秘密を筆者なりに分析してみた。

その前に地方都市で今話題になっている市街地の空洞化とは何なのか?
以下に有識者行政当局が唱える市街地の空洞化の典型的な図式と言い分を書き連ねると。

@、郊外のバイパス近辺の市街化調整地域にIEON(http://www.aeon.info/)等の”巨大ショッピングモール”やヤマダ電機のような”大規模量販店”が出店する。

Aこれに吸い寄せられるように、ファミレス等の飲食店も出店する。

B消費者は路上駐車を余儀なくされるような貧弱な駐車設備や、それに伴う交通渋滞や混雑を避け、十分な駐車場が確保された郊外型巨大ショッピングモールを利用するようになる。

C郊外に客を奪われた駅前市街地の商店街は次第に寂れていき、空き店舗や空きビルが増え、いわゆる”シャッター通り”となる。
ダイエーなどの大型店も貧弱な駐車設備、交通事情の悪さなどが災いして次第に郊外に客を奪われ撤退を余儀なくされる。

D結果消費者が歩いて行けるところに商店街が無くなると、爺婆や低所得者層のいわゆる”交通弱者”が日常の生活にも困難を来すようになる。

<その結果、東京近郊の地方都市ではこの図式で市街地中心部の空洞化が進行しており、折角の都市計画も有名無実になり、地方自治体の財政をも強く圧迫しだしている。>


とまあこんなおとぎ話?が、一部のジャーナリスト達と、エコノミストやアナリストいわゆる有識者のあいだで囁かれ出し、”無為無策の市当局者を巻き込んで大営店規制の方向に進もうとしているのが現状である。

<この稿続く>
posted by 蔵間転具 at 06:44| Comment(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柏原市の身の丈

人は、その人の生き方、ライフスタイルというものを”身の丈に応じた形”で自然に身につけるものである。

ソレは、自分の”価値観”と”能力”と”環境”に見合った形で自身の中で折り合いを付けながら、徐々に徐々に身に付くものなのだろう。


かつて世間を騒がせた”ホリエモン”のようにセレブに向かって”銭”に執着し続ける人もいれば、脱サラして、”スローライフ”とやらで田舎で自給自足の生活を送り充実した日々だと感じている人もいる。

要はその人が何に価値観を於いているかに”気づき”、周囲と調和が保て違和感なく暮らせる"居所"を見つけられるかである。

筆者は、人、人、,,,,,人の集合体”コロニー”である”町”それ自体にもその町固有の”身の丈”があると思っている。

確かに町は、土地その物なので、人間のように、田舎に引っ越すことは出来ないし、いくらがんばっても、セレブとはほど遠い町もある。

失礼を承知で言えば、六本木と田園調布と田舎は”身の丈”が違うのである。

しかし、人は、ホームレスや、犯罪者の様な人たち以外、いわゆる”常人”である限り決して”人生を投げたりしない。

その人の”身の丈に見合ったライフスタイル”の実現に向かって努力し続けるものである。

そして、何歳になっても”何をヤッテも手遅れ”などと言うことは決してない。
筆者自身、七転び八起の人生を送ってきた。

柏原市の若い職員達は柏原市の身の丈をどう考えているのだろうか。

収入役出身の現市長が
「銭、銭、銭,,,,,,まずは銭が無いと何も出来ない、今は歳費を抑えて銭を蓄えろ、じっと我慢の時だ、それからでも遅くない。」とでもおっしゃっているのか?

もしそうだとしたら、それははき違えである。

”身の丈に応じた”とは”華美に飾る”ことでも無ければ、「果報は寝て待て」とばかりに、何もしないで”ふて寝”を決め込むことでもない、努力し続けることである。

田舎暮らしの人も、六本木ヒルズのセレブ族も、それぞれ”銭の算段”、そして”やり繰りの苦労”はやっている。

柏原市の”地勢””周囲を取り巻く環境”から考えて、今の状況は、完全に”ふて寝”している”長屋のはっつぁん”と同じ様にしか見えない。

どうぞ”早く目を覚まして仕事に行って”ください。
ネエ”市役所のはっつぁん”

<この稿お終い>
posted by 蔵間転具 at 06:35| Comment(0) | 柏原市政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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